我が家の事情

ある日突然、嵐のような運命に巻き込まれ・・・

『捨てる神あれば、拾う神・・・』とは正にこのこと。
何の特技もない私を雇ってくれるという懐の深い会社が現れました。
とりあえず最悪の状況を脱した私たち家族。
転職活動に掛かった期間は、約4ヶ月でした。もっと長く感じたけれども。

退職

    会社がいよいよ2月に終わりを迎えることになりました。その頃、私の仕事はまだ決まらず、家庭の事情を知っている社長は心配そうに声を掛けてくれました。けれど、心がささくれ立っていた私は素直に社長の言葉を受け止められず、『どうせ他人だもんね。2月が終わればそれまででしょ』と思っていました。この心情の根底には、常に『誰も助けてくれない』というものがあったと思います。助けてくれないんじゃなくて、自分から手を差し出さなかったんですけどね、本当は。意地っ張りな性格が災いして、自分で自分の首を絞める状況になりました。

    そして、いよいよ出勤最終日。ピンと張り詰めた空気の中、社長が突然立ち上がり、深々と頭を下げました。『私の力不足で本当に申し訳ない』。社長が無念そうに言う姿を見て、この時ばかりは涙が出そうになりました。アットホームで社員のことを第一に考えてくれる会社で、できることなら定年まで勤めたかった。この社長とずっと一緒に仕事をしたかったです。

    やっと仕事が決まった

    無職になってからは、週に3回ハローワークに通いました。条件も緩くして、休みの少ない所や少し遠い所も対象にし、一生懸命探しました。でも、よく考えたら一般事務職の人を遠方から雇うことは少ないんですよね。無職になってからは、焦りも日増しに大きくなり、病気の旦那や幼い子供に相談できるはずもなく、常に私の両肩にずっしりと重いものがのしかかっていました。

    平静を装っていても、イライラは伝染するものですね。家族内の空気も張り詰め、息子は普段なら見逃されるようなことでも叱られる羽目に。息子の泣き顔を見るたびに自分の状況が恨めしくなり、不運を嘆きました。

    新たな仕事を見つけるべく、転職活動を続けること数カ月。努力の甲斐あってか、ようやく次の仕事を見つけることができ、最悪の状況は免れました。失業給付の受給前でしたが、退職金で何とか切り抜けることができたので、結果的にはまずまずです。仕事をしていない期間は家に居ても何だか肩身が狭くて、息苦しい生活を送っていました。だから、決まった瞬間は久々に深く息を吸い込んだような気がしました。

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