我が家の事情

ある日突然、嵐のような運命に巻き込まれ・・・

共働きで日々忙しく過ごしていましたが、ある日とうとう激務がたたって旦那が病気になってしまいました。仕事ができなくなり、復帰の目途も立たずに不安な日々。
一番支えて欲しい時に、上辺だけの付き合いだった周囲の人たちは去っていきました。
残ったのは、家族とほんの一握りの友人だけ。
こういう時にこそ、人間の本性が分かるものです。
けれど、それも仕方のないことです。自分だって、そういう状況の人がいたら、優しく手を差し伸べられるとは言い切れません。
綺麗ごとだけでは生きていけない世の中だからこそ、本当の意味で繋がりのある人達を大事にしたいと思うのです。

貧乏神の足音が聞こえる・・・

    前述の通り、最初のきっかけは旦那の病気でした。原因は過労でしたが、その後に安静生活を送らず無理をしてしまったため、結果的に病気が長引いてしまいました。病気になった当初は、『まったくもう、いつ治るのさ』と不機嫌だった私も、数カ月が過ぎる頃には『もしかしたら、かなりの長丁場になるかも・・・』と不安を覚え始めました。

    結局、数ヶ月間は寝たり起きたりの生活だったため、基礎体力がかなり低下して日常生活を送るギリギリの体力しか残っていませんでした。子供は4歳。先は長いぞ。どうする、自分・・・。
    このような病気になると、家族離散の結末を迎えることも少なくないと聞きます。だけど、旦那は会社のために精一杯働いて、無理をせざるを得なかったのに。どうして、そんな目に遭わければならないの?バリバリ働いている時はかなり有能だったはずの旦那が病気になって数カ月、声は小さくなり、行動もスローになり。大きな体がとても小さく見えました。もうこれは私が頑張るしかない。時間の経過と共に自然と覚悟ができてきたのか、少しずつ『一生家族を支える』という気持ちが芽生えました。

    誰も助けてくれない

    旦那が病気になった一番に感じたことは、身内や親しい友人以外、誰も助けてくれないという事。仕事上付き合いのあった人達は、蜘蛛の子を散らすようにサーッと私達の周りから居なくなりました。気心の知れた友人たちも気を遣いながら付き合ってくれているのが分かる。有りがたいけれど、これは少し辛かったです。更に、何があっても面倒を見ると言ってくれていた元上司が一切の係わりを断とうとしてきたことが本当にショックでした。誰も助けてくれない。分かっていたけれど、自分で何とかするしか無いんだ。この頃の私は精神状態が日々上下し、自分で自分の気持ちを持てあましていました。

    しかし、人間て窮地に追い込まれると逆にやる気が出るものなんですね。どん底を味わったからこそかも知れませんが、『負けるもんか』という気持ちが徐々に大きくなり、家族を支える気持ちも固まりました。やるしかない。誰にも頼らない・期待しないということを覚えると、心に重くのしかかっていた物が少しずつ小さくなり、笑顔で過ごせる日が増えてきました。

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